大正13年
福井県出身の橋本智證が鶴見区下野谷に、真宗山元派の説教場を開く
昭和3年
現在の佃野町に真宗山元派鶴見説教場を設立。智證が主管者となる
昭和12年
智證の息子、橋本広(ひろし)が新たに主管者となる。真宗山元派から真宗大谷派へ転派。
真宗大谷派鶴見町説教場を開く
昭和17年
宗教団体法の施行により、真宗大谷派鶴見教会と改称
昭和20年4月15日
空襲により建物全焼。坊守(広の妻)・長男・次男・坊守の実母を亡くす
昭和22年
真宗大谷派智広寺の寺号を許可され、橋本広が初代住職就任
本堂再建
昭和28年
法人成立 宗教法人智広寺となる
昭和43年
橋本正博智広寺二代目住職就任
昭和61年
現在の建物を新築
令和元年
橋本至智広寺三代目住職就任